2021年

あけましておめでとうございます。

 

久しぶりにこのブログのことを思い出し、開いてみた。

2020年はコロナで何もかもが狂ってしまった1年だった。

歳はひとつ取ったが、自分の中の時計は進んでいない感じがする。

 

前回のブログの更新後に各競馬場の抽選での客入れが再開し、何度か通った。

秋華賞菊花賞天皇賞秋、ジャパンカップ有馬記念は抽選で外れてしまったが、チャンピオンズCで初めて中京競馬場に遠征した。改めて見ると競馬場では多くの人が働いていて、その人たちによって開催が支えられているのだと思った。コロナ対策もきちんとされていた。

レースを間近で観ているうちに写真を撮りたくなり、思い切ってボーナスで望遠レンズを購入した。

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2020年12月13日 中山4R ラパンセソバージュ 坂井瑠星騎手

次にG1を勝つ若手騎手は坂井瑠星騎手かなと予想している。

年明けの緊急事態宣言を受けて中山競馬場は無観客に戻ってしまった。残念である。またカメラを持って競馬場に行きたい。

 

私の好きなテレビ番組のひとつに『家、ついて行ってイイですか?』というドキュメンタリー番組がある。

駅で終電を逃した人にインタビューし、タクシー代を支払う代わりに家を見せてもらってその人の人生の話を聞くというものだ。

1月6日の放送で、オナニーマシーンというバンドのイノマーさんに密着したドキュメンタリーが流れた。

口腔底がんを患ったイノマーさんが、進行する病気と闘いながら友人たちとともに大きなライブを成功させ、そして亡くなるまでを追ったものであった。

治療の副作用でむくんでいて顔色も悪く一人で立つこともやっとの状態なのに、ステージで力を振り絞って歌う姿の、生きる執念というか力に私は圧倒されてしまった。

周りの友人たちもあたたかく彼を支えていた。

ライブから2ヶ月後には容体が急変して亡くなってしまうのだが、入院している間も次々と友人が会いに来ていた。周りの人に恵まれるということは、ご本人の人柄ゆえだろう。

新年早々すごい映像を観たなぁと思ってしばらく力が抜けてしまっていた。

翻って今の私は、人生に対してこれといった目標もなく、ただ寝て起きて仕事に行っての繰り返しの毎日である。

「あなたが生きている今日は、 昨日死んだ誰かがどうしても生きたかった明日」という言葉が頭をよぎった。この言葉はあまり好きではないけれど、2021年は自分なりに前向きに生きたいと思う。

映画「劇場版 ヴァイオレット・エヴァーガーデン」

劇場版 ヴァイオレット・エヴァーガーデンを見てきた。

violet-evergarden.jp

もともと綺麗な絵柄で気になりつつも見たことがないアニメだったので、これを機にテレビシリーズを全話見た。

幼いながら戦争に赴き、感情というものがわからなかった少女が、自動手記人形として手紙の代筆を行ううちにだんだん人の感情に触れ、理解していくさまにいたく感動した。

特に10話の、病気の母親が自分の死期を悟り、まだ小さい娘に向けて毎年届くように50年分の誕生日祝いの手紙を書いたというエピソードには泣いた。

手紙の代筆を通じて依頼者の人生の一部に関わるということが、とても尊く素敵なことに感じられる作品だった。

 

劇場版は、テレビシリーズの数十年後、10話で登場した娘が亡くなり、母親から毎年受け取っていたたくさんの手紙を娘の孫が発見し、その手紙を代筆していたドール――ヴァイオレット・エヴァーガーデンの足跡を辿るところから始まる。

 

ヴァイオレットは何年もの時間をかけて、自動手記人形として確固たる地位を確立していた。そこに至るまでの努力はテレビシリーズでも丁寧に描かれていたところである。

病気の少年ユリスから依頼を受けた際に、彼の気持ちを正確に言い当てたところでも、ヴァイオレットの大きな成長を見て取ることができた。

作中で一番胸を打ったのが、エカルテ島にいるときにユリス危篤の報せが来て、ヴァイオレットがすぐにライデンに戻ろうとしたところだった。ヴァイオレット自身にとって大事な局面で、それを置いてでも約束を守ろうとするくらい、夢中で向き合えることを見つけたのだと思えたから。

 

一方で、ヴァイオレットがずっと慕っていたギルベルト少佐が実は生きていたという展開にはやや醒めてしまった。

ヴァイオレットは何年も少佐のことを想っているのに、少佐は何かと言い訳をしてヴァイオレットから逃げ隠れ続けていた。ヴァイオレットが訪ねてきてもなお向き合おうとしない。

テレビシリーズでもヴァイオレットと少佐のやり取りは描かれていたが、二人とも感情表現が少ないので、正直に言うとヴァイオレットがそこまで少佐を慕うのには共感できなかった。

少佐はヴァイオレットの記憶の中で美しい存在であり続けるか、手紙の場面を最後に訣別して生きていくという結末なら素直に受け入れることができたと思う。

どうも自分は、つらい過去を乗り越えて強く美しく成長したヴァイオレットには、少佐の思い出をも乗り越えて新しい未来を歩んでほしいと思っていたようである。

こればかりは解釈違いというものなのでどうしようもない。

 

さすがは京都アニメーションで、映像は本当に美しかった。

少しくすんでノスタルジックな色合いの画面の中で、スミレとブーゲンビリアの花の鮮やかな色がよく映えていた。

ヴァイオレットの表情の機微にも魅せられた。

 

パンフレットの中でユリス役の水橋かおりさんが「命が残した想いが作品という形で残っていくことの有り難さ」というコメントをされていたが、いろいろな意味でそのとおりだと思った。

ヴァイオレットの手紙が、何十年か経って依頼者の曾孫に読まれること。

ヴァイオレット・エヴァーガーデンという作品がこの先も世に残ること。

京都アニメーションへの放火事件のことも忘れられない。

思いを伝えるということについて考えさせられる作品だった。

アルバイト2

コンビニのアルバイトをクビになって以降、しばらく単発の試験監督などをして繋いでいた。

 

大学1年生の春休み、東日本大震災が起こった。

授業開始が延期になり、自由な時間が増えたことにより、再び定期的なアルバイトを探すことにした。

 

・家の近所であること

・まったり続けられそうなこと

コンビニをクビになった経験がかなりトラウマになっていて、上記を条件に今度は落ち着いて働けそうな場所を探していた。

本当は本屋でアルバイトをしてみたかったが、残念ながら近所の本屋では募集をしていなかった。

近所の商店街を「バイト募集してないかな……」と自転車で見て回っていたとき、小さなドラッグストアの求人を発見して応募した。ありがたいことに即採用された。

そこは曜日固定ではなく自己申告制のシフトで、チェーン店ではあるが店舗面積が小さく、営業時間が21時までというところが気に入った。下町の商店街なのでお客さんは高齢者が多く、閉店前の1時間はほとんど誰も来ないということも多かった。(ちなみに1月2日にバイトに入った際には、開店後の2時間で3人しかお客さんが来なかった。納品もないのでずっと手持ち無沙汰ではたきがけをしていた。)

幸いにも優しい先輩たちに業務を教えてもらい、徐々に店に馴染んでいくことができた。

バイトに入る時間帯も自由だったので、土日や夕方は大学生同士で、平日午前中の授業前にはパートの主婦の方とシフトに入るなどいろいろな人と一緒に仕事をした。

 

ドラッグストアといっても、私のバイト先の店舗には薬剤師はいなかったため、ロキソニン等の第1類医薬品は取り扱っていなかった。

思い返すとトイレットペーパーとティッシュボックスとお茶とカップ麺とポテトチップスの品出しをしていたことばかりが浮かんでくる。

小さな店舗ゆえに品出しからレジ打ちまでを担うことになるが、慣れてくると自分の裁量で仕事の配分ができるのでかなりやりやすかったと思う。

暇なときにひとつずつ品物を前に出したり、賞味期限をチェックしたりといった地道な作業が好きだった。

 

このバイト先には忘れられない人がいる。

毎週日曜は店長が休みだったので、代わりにパートの登録販売者が責任者として出勤していた。

そのパートの登録販売者は50代の独身女性なのだが、変わった人だった。

日曜の開店時にバイトより遅く来たり(バイトは鍵を持っていないので店に入れず外で待っている)、出勤時から酒臭かったり、服が汚れていたりした。

しっかりしてくれよ……という思いを抱きつつ、この人がいないと店舗が成り立たないことも事実だったので、誰も強いことは言えなかったように思う。

実際、話してみると悪い人ではないのだが、社会人としてどうなんだ……ということはずっと感じていた。

逆に言えば、こういう人でも受け入れられている職場だったからこそ、要領が良いとは言えない私でも働き続けることができたのだと思う。

 

結局このバイトは卒業までの3年間続けて、入れ替わりで3人の店長にお世話になった。店長はみな優しかったので、大変感謝している。

私の卒業後2年ほどで、バイト先の店舗は潰れてしまった。

その後、バイト先のチェーンごと別の大手ドラッグストアに買収されてしまった。

当時の店長たちは、大手ドラッグストアの社員になられたのだろうか。どうか今もお元気で。

サイレンススズカと人生

コロナ禍の土日は朝から夕方までもっぱら競馬を見て過ごしている。

もともと競馬は好きだったが、他の趣味であるライブやイベントがコロナで中止になってしまったので、必然的に競馬に費やす時間が増えた。グリーンチャンネルにも契約した。いろいろなスポーツが中止になった時期でも中央競馬は一週も休むことなく無観客で継続してくれたので、競馬ファンとしてはありがたかった。デアリングタクトとコントレイルの二冠達成を現地で見られなかったのは残念だが。

 

私は基本的に追い込み馬が好きだ。

昨年の有馬記念で有終の美を飾ったリスグラシューの追い込みは忘れられない(馬券も当たったし)。

自分自身が何事もギリギリまでやる気が出ない追い込み型なので、追い込んで勝つ姿を見ると勇気づけられる。

逆に逃げ馬は、かっこいいけど儚さと表裏一体な感じがしてドキドキするのだが、その印象の元はやはりこの馬だと思う。

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 「第五章 あの秋がなかったら」は題名からして涙なしには読めなかった。

 

「そう、サイレンススズカの大逃げこそ、人々がどうしても自らは歩くことのできない自由気ままな、奔放で、実に明るい人生のバーチャルリアリティーだったのではないだろうか。現実には実現不可能な憧れに近い人生を、サイレンススズカが大逃げを打つことで実感させてくれていたにちがいない。」

 

なるほどなと思った。

自分は追い込み馬に理想の人生を重ねて見ていたけど、最初から飛ばして逃げ切ることができればそれほど明るくて楽しい人生はないような気もする。

どちらにせよ人間の勝手な都合であることには間違いがないが、競走馬はそれくらい夢を見させてくれる存在だと思う。サイレンススズカはあまりにも遠くまで行ってしまったが……。

アエロリットが、リスグラシューと同じく引退レースだった昨年の有馬記念で、明らかに距離は長かったものの彼女らしく果敢に逃げたところでは感動した。

しんどいことの多い人生の中で、週末にはどんなレースを見られるだろうかというワクワクが自分の生きる糧になっている。

 

今週から秋競馬が始まった。地方やウインズでは少しずつ客入れを再開しているので、状況が改善されたらまた現地に見にいきたい。

映画「事故物件 恐い間取り」

映画「事故物件 恐い間取り」を見てきた。

夏もそろそろ終わりだしホラー映画でも見よう、と思った。

私は大島てるで何時間も暇潰しをするような人間である。本作も原作を読んでいた。

※以降、ネタバレを含むのでご注意ください。

 

movies.shochiku.co.jp

映画は、売れない芸人(山野ヤマメ)が番組の企画として事故物件に住むようになるという話である。そこで起こった怪奇現象を紹介したところ知名度が上がり、以後は事故物件を転々としながら番組出演を重ねていく。

売れない芸人時代の数少ないファンの女の子(梓)と別の現場で再会し、仲良くなって家に招くと、彼女は霊感が強いため霊を目撃することがあった。その後にヤマメ自身も霊を見て、引っ越して……を繰り返す。最終的には、「この間取りはいけない」と女の子に忠告されたにも関わらず住んでしまった家で、何人(?)もの霊が登場し、命がけで除霊バトルを行うことになる。

 

この作品では霊の登場の仕方がかなり大胆で、しっかりと地に足が付いているような感じだったので、私は恐さを感じなかった。最後の除霊バトルは大乱闘スマッシュブラザーズだし。原作の淡々とした薄ら寒さは、文章でしか表現できないと思った。

最後の物件では恋人同士が無理心中したという設定だったけど、他にもおじさんの霊などが出てきたということは、その物件で過去に亡くなった人間の霊か、それとも事故物件を転々とするヤマメについてきてしまった霊か。(この考えは「残穢」の影響を受けています。)

霊に勝ったあとの不動産屋のシーンは面白かった。

除霊バトルの際に助けに来てくれたことをきっかけに親密になったヤマメと梓は、事故物件ではない部屋で同棲をすることになったようだが、”事故物件住んでみた芸人”をやめてどうやって生活するのだろうか(余計なお世話)。

 

ホラーやジェットコースターや辛い食べ物が好きな人は、それらの刺激を受けた際に出る脳内麻薬に取り憑かれているらしい。

思えば私は3つとも好きだ。

いつか背筋が寒くなるような体験をしたら、このブログに書こうと思います。

アルバイト1

大学1年生のとき、初めてコンビニのアルバイトに挑戦した。

私の通っていた学部は昼夜開講制で午後からの授業が多かったので、午前の時間をアルバイトに充てようと思い、朝6-9時の枠を希望していた。

家の向かいのコンビニで募集していたアルバイトに応募し、無事に採用された。

 

最初の頃は、オーナーが私がW大学の学生ということに興味を持ってくれて、「ハンカチ王子には会ったことあるの?」などと話しかけてくれた。

大学名だけで過度に期待されていることに少々不安を感じつつも、がんばらなければという気持ちの元でせっせとメモを取って業務を覚えようとしていた。

 

しかし、私は失敗が多かった。

例えば、冷凍庫から出してレジ横の保温ケースに入れたばかりの肉まんを、すぐに売ってしまったことがあった。

あるときはおでんの鍋に入れる仕切りの向きを上下逆にしていて怒られた。

水を出しっぱなしにしたままおでんの鍋を洗っていたときもひどく怒られた。

ほかにもおそらく忘れているであろう失敗は枚挙にいとまがない。

失敗するたびに同じ失敗はするまいと決意して、実際しなかった気はするのだが、次々に新しい失敗をしでかすのでただ期待はずれな奴だったと思う。

ゆっくり考えれば普通にわかることなのに、瞬時に判断しようとすると間違えてしまうのである。

先輩の高校生がしっかり働いているのを見て、自分が情けなくてしかたなかった。

 

朝は急いでいるお客さんが多いから、最初は夕方の時間から研修をしましょう、と言われて2ヶ月くらい経ったと思う。夏の暑い時期にアルバイトを始め、肉まんやおでんの季節になってもなお、夕方に研修を続けていた。ときどきオーナーが肉まんを奢ってくれたりして嬉しかった。

シフトは1週間か2週間ごとに発表されるシステムだった。私はいつになったら朝の枠に入れてもらえるのだろうと思って、あるとき尋ねた。

「店長、私はいつから朝の時間帯に入れていただけそうですか?」

「あのねえ、申し訳ないんだけど、もう来なくていいから」

 

それが私のコンビニでのアルバイトの最後の日になった。

その場ではなんとか感情を制御できた。

退勤後、向かいの自宅マンションの駐車場に腰かけて、ひとりで泣いた。

 

それから大学在学中はなんとなく気まずくてそのコンビニに一度も入れなかった。

就職してから一度寄ってみたら、私がアルバイトしていた当時のバイトリーダーの人がまだレジに立っていた。もちろん私のことなんて覚えていないと思うが。

 

正直に言って私はコンビニのバイトを甘く見ていた。

実際はレジ、品出し、掃除、タバコ販売、宅急便、チケット発券、自賠責など業務の種類が多く覚えるのが大変である。今は電子マネーの種類も増えたからさらに大変かもしれない。

 

それにしてもアルバイトをクビになった話はあまりにも情けないので人にはほとんど話していない。

ごあいさつ

はじめまして。

社会人7年目で大学職員をしています。

 

コロナ禍で家でぼーっと過ごすことが増え、人と会話をする機会がめっきり減ってしまいました。

高校生のときによくブログを書いていたことをふと思い出し、10年以上ぶりに開設してみました。

 日々の出来事や過去の回想などを書いていきたいと思います。

お付き合いいただけたらうれしいです。